何回観てもいいな〜 と思うおすすめの恋愛映画を紹介します。気がついたら更新します。
東野圭吾原作の「手紙」。映像化に際して、映画向きに設定が変えられました。音楽を漫才に・・・。この変更が素晴らしい効果を生み出したと思います。
挿入歌「言葉にできない」は私の大好きな曲の一つです。
映画「手紙」(2006)
監督:生野滋朗
脚本:安倍照雄、清水友佳子
原作:東野圭吾「手紙」(毎日新聞社刊)
音楽:佐藤直紀
プロデューサー:朴木浩美、橋口一成
撮影:藤石修
出演:
山田孝之
玉山鉄二
沢尻エリカ
映画を観て涙を流す。いろいろな涙の種類がありますが、ここではともかく「私」が泣いた映画を紹介していきます。気がついたら更新します。
何回観ても泣いてしまいます。原作と映画では構成が違いますが、どちらも泣けました。
映画「The Deep End of the Ocean」(1999)
監督(Directed by):ウール・グロスバード(ULU GROSBARD)
脚本(Screenplay by):スティーブン・シフ(STEPHEN SCHIFF)
原作(Based on the book by):
ジャクリーン・ミチャード(JACQUELYN MITCHARD)「青く深く沈んで」(新潮文庫刊)
製作(Produced by):ケイト・ギンズバーグ(KATE GUINZBERG & STEVE NICOLAIDES)
製作総指揮(Executive Producer):フランク・キャプラ3世(FRANK CAPRA III)
撮影(Director of Photography):
スティーブン・ゴールドブラット、A.S.C.(STERPHEN GOLDBLATT, A.S.C.)
出演:
ミシェル・ファイファー
トリーツ・ウィリアムズ
ウーピー・ゴールドバーグ
小さな恋の物語。そうイギリス映画をモチーフにしています。しっかり泣いてしまいました。これまた原作とは舞台設定が違いますが、その違いが映像として非常に効果的だと思いました。
映画「Little DJ 〜小さな恋の物語」(2007)
監督:永田琴
脚本:三浦有為子、永田琴
原作:鬼塚忠「Little DJ 小さな恋の物語」(ポプラ社刊)
音楽:佐藤直紀
プロデューサー:森谷雄、千葉伸大、遠藤日登思
撮影:福本淳
出演:
神木隆之介
福田麻由子
象徴(symbol)によって社会的に意味づけられた行動=社会的に意図づけられた行動
行為は行動の一部です。しかし行動に含まれない行為もあります。
人間ならびに人間以外の動物の活動全般を指す。
具体的な事物によって抽象的な概念が表現されること。
本サイトでは、wikiを個人的な辞書のように利用したいと考えています。
「ジコチュー」が強い自負心をもち、その自負心に見合うだけの才能や技能、実力を発揮したときに「オレ様」になる。オレ様は「ジコチュー」と異なり、他者から認められる何らかの「能力」を持っているため、ジコチューのように孤立化してしまうことはない。
例:「のだめカンタービレ」に登場する千秋さま。
「自分自身が世界の中心にあると考え、自分を基準に、自分の視点だけで物事を捉える。」
ジコチューは他人の視点に立って物事を捉えることはありません。他人の視点に立って物事を捉える能力は、発達段階で学習する人間の能力です。ジコチューはせっかく学習した人間に特有な能力を使っていません。
自分を基準にして考えていますから、他人が自分をどのように見ているかということに関心がありません。そんなことはどうでもいいのです。
それではどうしてこうしたジコチューが誕生してきたのでしょうか? これにはいくつかの理由が考えられます。ここでは簡単に思いつく理由だけに限って説明しましょう。
一つは「他者との接触時間の低下」です。ご存じの通り、この数年で日本は少子化が進み、子どもの数が減りました。兄弟姉妹児の数が減少した家族も増えています。親はというと、現在は二人ともに働かないと家計を維持できません。地域によって差はありますが、祖父母世代と同居するということも少なくなり、その結果、子どもたちは誰かと一緒に過ごす時間よりも一人で過ごす時間の方が長くなっています。
もう一つは習い事が増加し、また勉強をする時間が増えたことで、同年齢集団で過ごす機会が減少したことがあげられます。確かに学校では集団生活を行っていますが、その時間だけで、放課後は集団で活動するよりも2,3人か、1人で移動しています。
このように人間との接触時間が減少すれば、他者が何を考えているのか、ということに関心がなくなります。一人で過ごす時間の方が多いため、他者に関心をもっても意味がないからです。
最後に他者も自分と同じように考えていると誤解しています。自分の規範を他者ももっていて、自分が考えていることに他者も同調すると「思いこんでいる」ということです。
総合的にジコチューはジコチューになるように育てられたと言えます。実は現在の社会にはジコチューが増殖しています。大学での私語の増加も、実はジコチューが増殖したことの証拠です。他ならぬ自分が私語をしてもいいと、判断することは、他者も同調すると考える人が、私語を行います。他者が迷惑しているというようなことにはまったく関心をもちません。自分の規範はみんなの規範だからです。皆さんのまわりにはこうした人間が増殖していませんか?
以上は下記の講義ノートからの抜粋
実は私の社会学入門の講義ノートです。
http://bunkei.blog.so-net.ne.jp/archive/c5376648-2
結論をまとめようとしない
]]>文章のあちこちに言いたいことがある。
]]>説明してまとめ、説明してまとめて各々に結論がある
]]>文章構成の型としての「両括型」は、結論が最初と最後にある文章のこと。
]]>文章構成の型としての「頭括型」は、結論が最初にある文章のこと。
]]>